ライトなれど軽薄ではなし―「猫とともに去りぬ」

かなり久し振りに小説を取り上げます。
「猫とともに去りぬ」 ロダーリ作 関口英子訳

 

イタリアの児童文学者ジャンニ・ロダーリの作品で、光文社の古典新訳文庫からの出版です。
肩のこらない短編集ですので、気が向いたときに手にとって一、二編読んで気分転換するのにピッタリ。天気の良い日にコーヒーか紅茶でも飲みながら。

 

表題作の「猫とともに去りぬ」は、邪険な扱いにすねたお爺ちゃんが猫になって家族のもとを去り、ローマの町の野良猫になるというお話です。
お爺ちゃんは気ままな野良猫生活を続けるのか、はたまた家族のもとに戻るのか・・・・
イタリア人なので?舞台は殆どイタリアです。ヴェネチアが水没してしまう話やピサの斜塔が宇宙人に盗まれそうになる話もあります。
また、ロダーリさんが共産党員であった為、マンブレティ氏という栓抜き工場の社長は強欲で冷血な資本家として度々登場してはひどい目にあわされます。
数少ない髪の毛が抜けそうになったり、体中に絆創膏を張らなきゃいけないハメに(笑)自業自得なのですが。

 

優れた児童文学作家には得てして、大人もハッとさせれるものですが、本書でも度々そんな場面に出くわしました。
超能力を持った赤ちゃんが周りの人間にスポイルされて、自ら平凡な人間になったことを喜ぶ 「カルちゃん、カルロちゃん、カルちゃん」は何だかぞっとする読み味。

 

最近、映画や小説から遠ざかったいたのですが、こうやってブログに感想を書くのは楽しいものですね。
今後もペースを上げて取り上げたいと思います!

 

ペットシッター的には猫絡みのお話を最後に一つ。
訳者関口英子さんのあとがきによるとロダーリさんは父親を9歳の時に亡くしており、その死因は肺炎。嵐の中、子猫を助ける為にずぶ濡れになったためだそうです。
そのための父の死と結びついた猫を作中に度々取り上げているそうです。
そう聞くとお爺ちゃんが猫に化けてしまう「猫とともに去りぬ」も違った感慨が沸いてきます。

 

4334751075 猫とともに去りぬ (光文社古典新訳文庫)
ジャンニ ロダーリ 関口 英子
光文社 2006-09-07

by G-Tools

2011.04.21  コメント(0)  

100回目の薄ボンヤリ―「ライ麦畑でつかまえて」

サリンジャーが亡くなりましたね。享年92歳。長生きしたのですね。
ペットには関係ないニュースなのですが、感慨深いものがあったので。
「ライ麦畑でつかまて」初めて読んだのは中学生だったか?高校生だったか?いずれにせよ、ありがちな事に村上春樹からの流れで読んだ記憶が。
のち にカート・ヴォネガットやジョン・アーヴィングも読んだので、村上春樹の影響をモロに受けていると言えるでしょう。

 

やれやれ。

 

村上春樹とは今や縁遠くなって「1Q84」も読んでません。文庫本になったら買うのでしょうけど。
一方、カート・ヴォネガットは今でもフェイバリットな作家の一人で、数年前に亡くなった時は、いずれは・・・と覚悟はしていましたが、大変残念に思いました。

 

さて、「ライ麦畑でつかまて」。
読んだのがだいぶ前で、もう内容が定かでは・・・たしかアヒルが出てきたような。そういえば石神井公園の黒鳥はまだいるのだろうか?
女優のズーイ・デシャネルの「ズーイ」はサリンジャーの「フラーニーとゾーイ」のゾーイから取ったんだっけ。でもだったら、ゾーイ・デシャルじゃなかろうか。
彼女が出ている「(500)日のサマー」が気になるな。スミスが主演の二人を結ぶきっかけらしい。
じゃぁ、スミスでも聞くか。あ、でもコードが壊れてて右のスピーカーから音が出ないんだった。
そうだ、そうだ、今からコードを買いにいくか。
危うく、席を立つところでした。

 

うーん。ホールデンの姿を見失うと共に記事の帰結さえも見失ってしまった。アレだけ熱心に読んだに、何故か書くことが思いつかない。
もうかの小説の魅力は年を取ってしまった私には、分からなくなったのだろうか。つまり、青春を喪失していたのか?気付かないうちに。
今日の朝日新聞に柴田元幸は「ライ麦畑でつかまえて」の魅力は若さゆえの純粋な自分を受け入れてくれない無理解な大人、社会に対する反抗ではなく、年齢や世代を超えた自分がいまここにこうして在ることへの普遍的な違和感や苛立ちにある。
と書いていた。柴田氏によると年齢は関係ないらしい。じゃあ、普遍的な違和感や苛立ちさせえ持たなくなったのだろうか。
まあ、単なる物忘れなのでしょうけど。

 

実は本ブログは、今記事で記念すべき百回目。よく続いたなともペースが遅すぎとも感じます。自分自身に毀誉褒貶。
百回目なのにぼやけた話で申し訳あります。。今後は更新速度をあげつつ、ペットを飼養されている皆さんのお役に立てる記事を増やしていく所存でございます。
今後とも、ペットシッターのストローラーカンパニーをどうぞよろしくお願い致します。

 

村上春樹訳ではなく、馴染深い野崎孝訳バージョンをUPしておきます。上記の記事の中で柴田元幸は―この小説が「書かれたもの」というより「語られたもの」であることを正しく感じとった野崎孝による画期的な翻訳が刊行され―と述べていました。
うーん。鋭い指摘。

 

4560070512 ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス)
J.D.サリンジャー 野崎 孝
白水社 1984-05-20

by G-Tools

2010.02.01  コメント(0)  

泣くものか―100回泣くこと

自分の好きなものだけで生活するのは、とても快適なものです。
でも好きなものばっかりだと、どうしても自分チョイスの味に食傷気味に。たまには全く違ったテイストを試してしたくなるもので。

 

そこで購入したのが中村航「100回泣くこと」。私は基本、ベストセラーには近づかない性質(たち)ですし、恋愛小説も読みません。
どうせなら、もっと軽薄な携帯小説でもと思ったのですが、間違えてぱーぷるを読んじゃいそうなので止めました。

 

オートバイ。ペット。恋愛。恋人との死別。これらのキーワードを小説の中に折り込み、小説の内容と読者の実体験を共鳴させることによって、泣かせるのが本書の狙いか。
つまり、読者は主人公の飼い犬ブックが死にしそうな時には自分の飼っている、もしくは飼っていたペットを思い浮かべて泣くのです。

 

泣けてきそうなキーワードを放り込んだけで、後は読者の実体験に頼るのはこずるいような気もしますが、これはこれは有りなのでしょう。誰もが思い当たるキーワードの選定、思い出にどっぷりと浸れる引っかりの無い文章と、色々と工夫をしているようです。

 

かく言う私も、百回?一回だって鳴くものか・・・と読み始めましたけど。なんせ半ベソかきましたから。

 

4094082190 100回泣くこと (小学館文庫)
中村 航
小学館 2007-11-06

by G-Tools

2010.01.29  コメント(0)  

すがすがしいまでに無意味―「王様の背中」

内田百閒、動物と言えば名作「ノラや」ですが,あえて童話が9編納められた短編集(9編の内7編に動物が登場します。)「王様の背中」をとりあげます。
内田百閒の作品には道を歩いていたら、いきなり落とし穴に落とされたような「急さ」「意外さ」があります。今まで熱心に書いていた話を幼児が遊んでいたオモチャに突如飽きてオモチャを放り投げるように止めてしまう。
「なんでそこに落穴掘るかなぁ?」と面白くもあり、実は落とし穴は底なしじゃないのだろうかという気がして怖くもあります。本当に掴み所の無い人です。平気で矛盾するし。

 

本書では「桃太郎」が抜けて面白いですね。こちらに対して何のメッセージも発信してこない。本当に何にも。
ふんだんに使われた版画家谷中安規の挿絵(版画)もイイですね。もともと童話と版画はいかにも相性がよさそうですが、百閒の持つおかしみと挿絵のイメージがピッタリです。 百閒と谷中の取り合わせは非常にゴージャスな気分にさせてくれます。
ゴージャズといってもフランス料理とワインというよりは和菓子に日本茶といった具合に渋い目ですが。

 

でも一番面白のは本編より巻頭だったりします。こんな所も百閒らしいですね。

 

(前略)この本のお話には、教訓はなんにも含まれて居りませんから、皆さん安心して読んで下さい。
どのお話にも、ただ読んで頂いた通りに受け取ってくださればよろしいのです。
それがまた文章の正しい読み方なのです。

 

4828832947 王様の背中 (福武文庫)
内田 百けん
福武書店 1994-09

by G-Tools

2008.11.13  コメント(0)