デカダンスの香り―「ずどんと いっぱつ」

以前、取り上げた奥さんの作品(カングル・ワングルのぼうし)は夫であるジョン・バーミンガムに捧げれてましたが今回の絵本「ずどんといっぱつ すていぬシンプ だいかつやく」はジョン・バーミンガムから愛犬アクトンへと捧げられています。

 

あらすじ 子犬のシンプは醜さ故に飼い主のおじさんに町外れのゴミ捨て場に捨てられてしまいます。シンプは新しい自分の居場所を求めて町を歩き、さ迷うも見つかりません。それでもさ迷い続けたどり着いたのは、町の外の森の中。森にはサーカス団がテントを張っていました。
お腹がすいて物欲しそうにテントの中をシンプが覗くと、中にいたピエロのおじさんが食事を分けてくれた上に、暖かい寝床まで用意してくれました。
でもこの心の優しいピエロのおじさんにはある悩み事が。悩みを知ったシンプはおじさんを助けるため、ある行動をとります。

 

この作品はとにかくダークな絵がカッコいい。色の厚さ具合なんか最高。シンプもブサイクという設定ですが、コロコロとしていてとてもカワイイです。
特にお気に入りなのはサーカスの公演場面ですかね。なんと言うかページからデカダンスの香りがプンプンと漂ってくるのです。
踊り子のむちっとした白い肌、サーカスの支配人達のダンディなタキシード姿に陰気な表情、会場を包む熱気、サーカスの如何わしい空気がビンビンに伝わってきて、まるでロートレックのよう。
ネズミ達と過ごす一夜の荒んだ雰囲気もいいし、飼い主からポイ捨てされる様もモチロン可哀相なのですが、どこかユーモアが漂っていて面白いです。まあ、ジョン・バーニンガムの筆が冴え渡っていてページをめくるごとにシビレどうしでした。

 

作品の大半がシンプの心境を表していたのか重い色調で描かれているものの、ラスト3ページは優しい色合い。ピエロのおじさんと一緒に居れてシンプも幸せなのでしょう。ヨカッタ。ヨカッタ。

 

492493836X ずどんと いっぱつ―すていぬシンプ だいかつやく
ジョン バーニンガム 渡辺 茂男
童話館出版 1995-03 

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2009.05.30  コメント(0)  

動物病院への付き添いサービスについて

弊社ではワンちゃん、ネコちゃん、小動物へのお散歩、食事、トイレのお世話等のペットシッターサービスをメインに提供させて頂いておりますが、通常のペットシッターサービス以外にもご依頼内容によってはお受けしております。
弊社ホームページのQ&Aにて簡単に触れておりますが、分かりやすいよう先日ご依頼をお受けした動物病院への付き添いサービスについてまとめてみましたので、ご参考になさって下さい。

 

  • ご依頼内容:ワンちゃんを飼い主様に代わって定期的に動物病院に連れて行き診察を受け、ご自宅まで連れて帰える。
  • 料金:通常のペットシッターサービスと変わらず、40分2000円。40分をオーバーした場合は15分毎に500円頂きました。

 
*車はお出し出来ません。歩行が困難なペットの場合はお手数ですが、ベビーカー等のご用意をお願い致します。

2009.05.20  コメント(0)  

猫が大好きである―BRUTUS「猫である。」

発売日(3月2日)から大分経ったので、今更の感が強しですがBRUTUSの「猫である。」を取り上げます。
ネコちゃん関連の色々な特集が組まれていて、猫ちゃん好きにはうってつけの内容なのですが、その中からは特に面白かったの町田康の談話「磯野家で暮らしているのはなぜポチではなく、タマなのか。」をついて書きたいと思います。

 

内容を要約すると―犬と人間は価値観を共有する事が可能だが、猫の場合は人間が共有を求めても猫の方で拒んでしまう。よって小説や漫画において犬はストーリーと同じトーンで存在するが、猫はストーリーを無視した動きをとり、効果的な刺激を作品に与える。
つまり人間の意図に沿わない猫は人間の価値観を転倒させる。それは擬人化しようがしまいが変わらない。だからこそ猫は漫画と親和性が高いのでは無いだろうか。―

 

町田康の猫好きは知っていましたが感想を一言でいうと「ホント、ネコちゃんが好きだねぇー」に尽きます。
以前、NHKの番組で中原中也の足跡を辿る番組に氏が出演していた時も中也ゆかりの地でのロケ中、ある道を説明する際に「今、猫が通っていた道ですよね。」と発言しているのを見たことがありましたが、その時も好きなんだなぁーと感心しました。
今回の談話ではネコちゃんに対する深い愛情からくる観察に根ざしたコメントを述べていてナルホドと頷かされました。
例えば―猫には悲しみという感情が無いのではないのではないかとも思う。喜びと怒りしかないんじゃないか。―
確かにワンちゃんと比較すると悲しみという感情はグッと少ない気がしますね。そう言えばジョン・アーヴィングの小説にもその名もずばりなソロー(悲しみ)という名の犬が登場します。

 

でも愛情が深すぎて神聖視しすぎている気も。―作者は、漫画を描く上で、どんな事もできる存在だ。しかし猫を登場させることによって、作者の思い通りにならないことが生まれてしまう。小説の中でも「猫を出しちゃったよ、どうしよう?」と考えることで、本来は進み行きたい道筋であったとしても、「それは猫はやらないでしょ」っていうことがある。―
「うろたえてないで、そこはコントロールして下さいよ。先生。そんなこといったら、他の動物も人間さえも書けませんよ。」と、ついつい指摘してしまいたくなる程の溺愛ぶり。
でも、この鋭さと見境の無さがない交ぜになったトーンが微笑ましくて大変満足しました。

 

B001T2D7CG BRUTUS (ブルータス) 2009年 3/15号 [雑誌]
マガジンハウス 2009-03-02

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2009.05.19  コメント(0)  

宇宙人の視点―「ハックル」

前回からかなり間隔が空いての更新となってしまいました。今回は映画「ハックル」をご紹介します。
この映画、ハンガリーの映画学校生の卒業作品で出来の良さが評判を呼びアレヨアレヨという間に世界各国で公開されるという痛快なサイドストーリーを持っているそうです。
確かに学生らしいスゲーのを一発撮ってやろうという熱い意欲に満ちていながら、高い完成度を誇る作品で評論家受けが良いのも納得です。

 

あらすじ とある田舎の村に住むおじいさんのシャックリが止まらなくなっていました。
おじいさんのシャックリは豚が交尾する最中も、村の男達が次々となぞの死を遂げても、戦闘機が村を飛び回っても止まらず、ヒック、ヒックと村中に響き渡ります。

 

なんの変哲もない片田舎の村は小世界、世界の縮図として描かれています。そこでは生き物は生きるために他の生物を殺して食べてる。それは人間とて例外ではない。
そして、何故か村の女性達は総じて自分の伴侶を毒殺をする。もしくは殺そうと毒薬を隠し持っている。人間だけは必要も無く殺しを行うという意味が込められているのか?いないのか?定かではないが、村の男性達は何処かで殺される運命を分かっているよう。
その諦観は何処から来るのでしょうか?不思議と村の男達には諦めとも悟りともつかないような表情を浮かべているように見受けられます。

 

この作品の特筆すべき点は、撮る対象に対する距離感の特異さです。カメラが映すのは人間、人間以外の生物、工場のミシンや車のトランクの鍵穴等の機械や工業製品の三つに分けることが出来ます。
普通でしたら、人間側から他の二つを撮りそうなものですが、三つの内、どれかに寄らずにどれにも等しい距離感で撮っています。例えば村人が死にかけてるのにカメラはテンで違う所を撮っていたり、意味も無く車のトランクの鍵穴をクローズアップする。
これにより観客は今まで経験したことが無い、まるで地球に降り立った宇宙人(←この表現は評論家の受け売りです。)のような視点で映画を見ることが出来ます。宇宙人にとって人間と車のトランクの鍵穴は同程度の興味を引く存在ですから。
こんな経験は映画を見ていて初めですし、映画(映像)というメディアだからこそ出来ることでしょう。
ハックルとはハンガリー語でしゃっくりの事だそうで、「ハックル」と日本語の「しゃっくり」の響きが似ているところが何だか面白いのですが、映画の中で何がおこっても鳴り続けるシャックリとは戦争に環境破壊、人間が何をしても地球は周り続けていることを表しているのかなあと。

 

コンセプトは刺激的ですが、映画全体の印象は如何にもヨーロッパなタンタンとした作品で、台詞も殆どありませんのでバッチリ目が覚めている時にご覧になると良いかと。

2009.05.12  コメント(0)