前回からかなり間隔が空いての更新となってしまいました。今回は映画「ハックル」をご紹介します。
この映画、ハンガリーの映画学校生の卒業作品で出来の良さが評判を呼びアレヨアレヨという間に世界各国で公開されるという痛快なサイドストーリーを持っているそうです。
確かに学生らしいスゲーのを一発撮ってやろうという熱い意欲に満ちていながら、高い完成度を誇る作品で評論家受けが良いのも納得です。

 

あらすじ とある田舎の村に住むおじいさんのシャックリが止まらなくなっていました。
おじいさんのシャックリは豚が交尾する最中も、村の男達が次々となぞの死を遂げても、戦闘機が村を飛び回っても止まらず、ヒック、ヒックと村中に響き渡ります。

 

なんの変哲もない片田舎の村は小世界、世界の縮図として描かれています。そこでは生き物は生きるために他の生物を殺して食べてる。それは人間とて例外ではない。
そして、何故か村の女性達は総じて自分の伴侶を毒殺をする。もしくは殺そうと毒薬を隠し持っている。人間だけは必要も無く殺しを行うという意味が込められているのか?いないのか?定かではないが、村の男性達は何処かで殺される運命を分かっているよう。
その諦観は何処から来るのでしょうか?不思議と村の男達には諦めとも悟りともつかないような表情を浮かべているように見受けられます。

 

この作品の特筆すべき点は、撮る対象に対する距離感の特異さです。カメラが映すのは人間、人間以外の生物、工場のミシンや車のトランクの鍵穴等の機械や工業製品の三つに分けることが出来ます。
普通でしたら、人間側から他の二つを撮りそうなものですが、三つの内、どれかに寄らずにどれにも等しい距離感で撮っています。例えば村人が死にかけてるのにカメラはテンで違う所を撮っていたり、意味も無く車のトランクの鍵穴をクローズアップする。
これにより観客は今まで経験したことが無い、まるで地球に降り立った宇宙人(←この表現は評論家の受け売りです。)のような視点で映画を見ることが出来ます。宇宙人にとって人間と車のトランクの鍵穴は同程度の興味を引く存在ですから。
こんな経験は映画を見ていて初めですし、映画(映像)というメディアだからこそ出来ることでしょう。
ハックルとはハンガリー語でしゃっくりの事だそうで、「ハックル」と日本語の「しゃっくり」の響きが似ているところが何だか面白いのですが、映画の中で何がおこっても鳴り続けるシャックリとは戦争に環境破壊、人間が何をしても地球は周り続けていることを表しているのかなあと。

 

コンセプトは刺激的ですが、映画全体の印象は如何にもヨーロッパなタンタンとした作品で、台詞も殆どありませんのでバッチリ目が覚めている時にご覧になると良いかと。