以前とりあげた「グーグーだって猫である」ではグーグー達それぞれに向けられていた筆者の愛情が今回とりあげる「サバの秋の夜長」「サバの夏が来た」ではサバだけに注がれてグッと濃密になっています。愛情を向けるというよりも筆者とサバが一体化しています。
読み味も同じで色々なネコちゃんを愉快に眺めていたのならサラッとした前者、筆者の複雑な内面を垣間見たいなら後者といったところでしょうか。

 

筆者にとってサバは世界を見つめる為のフィルターであり感情を増幅させる装置のようです。
湾岸戦争で犠牲になる人々や動物をサバに見立てて悲しみ、サバの避妊手術が終わるのを待つ間にみた、美しい桜フブキをツミとバツの桜フブキだと落ち込みます。
サバは悲しみだけを増幅させるわけでは有りません。
サバについているノミを通してグローバルな視点に立ち(これだけだと何のことやらですが、とても楽しいエピソードです。)、ひさしぶりの雨をサバの静電気が収まると喜びます。
サバというフィルターを通して描かれる世界はどれも繊細で非常に美しい世界です。

 

残念なことにサバが亡くなってしまいこの世界は失われてしまいますが、それはグーグー達との出会いの始まりでもあり、物事は複雑で一見しただけでは全容はわかりませんね。

 

4592883608 サバの秋の夜長 (白泉社文庫)
大島 弓子
白泉社 2000-03

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