もう人には見えない―「グーグーだって猫である1~4」

手塚治虫文化賞(短編賞)をとり映画も公開予定の何かと話題の大島弓子著「グーグーだって猫である1~4」を周回遅れながらやっと読みました。といっても実際に買ったのは、2ヶ月位前で3、4軒書店をまわっても2巻と3巻しか置いてなくて、全巻を手に入れるのがタイヘンでタイヘンで。
売れているをわが身を持って知りしました。

 

私にとって 「大島弓子」「ネコちゃん」でパッと浮かぶのが「綿の国星」「サバ~」シリーズでしたので「ネコちゃんを擬人化しないのかぁ」が第一印象。読み進めていく内にそれも納得でした。

 

サバが著者にとって友人であり、家族であり、恋人?であり(サバは女の子なのですが男の子のように描かれている)そして著者自身を写す鏡であったのに対してグーグー達は何処までも行ってもネコちゃん。ネコちゃんとして付き合いネコちゃんとして可愛がり責任を持って飼っています。
何故、付き合い方が違うのか?反省しているからでしょう。自分の事にかまかけてサバの面倒をちゃんと見てやれなかった。あの時ああしていればサバはもっと長生きできたのでは?もっと幸せにしてあげられたのでは?と。
だからグーグー達にはしっかりと飼おうと全力を注いでいます。自身の内面を安易に投影せず一匹の「ネコちゃん」としてネコちゃん自身の気持ちと向き合い続けた結果が擬人化無しの表現に行き着いたのでしょう。

 

著者が必死になってグーグー達と向き合っている姿はサバに対する贖罪のようで切なくなってきます。もちろん贖罪だけではそれぞれのネコちゃん達をあれだけカワイく特徴豊かに書き分けることは出来ないでしょうし、マンガ全体から感じられるネコちゃん達への眼差しはとても愛情に満ちています。
それでも過度に繊細な著者(反面とても頑固でもありますね)のサバに対する深い深い後悔と反省を思うと胸が痛みます。

 

私はペットシッターとして様々なお宅にお伺いしますが、飼い主さんとペットの絆は一様にみんな固いものです。
私にもなついてくれますが、やはり飼い主さんとは特別だなと感じます。

 

著者には肩の力を抜いて自分を赦してやって欲しいです。サバは著者と暮らせて間違いなく幸せだったのだから。

 

追記 タイトルは「我輩は猫である」からきているのでしょうか?勝手にサバは大切なネコだったけどグーグーだって大切なネコであると想像しているのですが・・・考え過ぎでしょうか?

 

4048532588 グーグーだって猫である
大島 弓子
角川書店 2000-07

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2008.08.04