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2008.06.11
エッセイにんげんにだって未来はない―「ねこに未来はない」
火事になったら、一枚のレンブラントより一ぴきのねこをすくおう そしてその後で、そのねこを放してやろう アルベルト・ジャコメッティ 上の台詞は、今回取り上げる詩人長田弘のエッセイ「ねこに未来はない」の巻頭に載っていたものです。素敵で洒落ているので引用してみました。 絵本が続きましたので、今回は気分を変えてエッセイです。 インパクトのあるタイトルは「猫は脳の構造上、未来を考える能力が無い」と「外に自由に出歩く飼い猫は、事故や行方不明で飼い主の元からいずれ姿を消す」の二つの意味が込められています。 いいタイトルですね。 〔内容〕 全日本反猫同盟を作ろうかと考えたこともある猫嫌いな筆者がねこ好きな女性と結婚。そして猫を飼い始め、やがてねこの本を読みながら紅茶を飲むのが、唯一の楽しみになる程のねこ好きになるまでを描くエッセイ。 おまけで英国の作家アラン・シリトーの絵本「ママレード・ジムの冒険」の筆者の手による翻訳版もついています。 この作品は、非常に柔らかい文体で書かれています。読みやすい反面、柔らかすぎて緩くなりそうな所ですが、猫はいずれ姿を消してしまう諦念とそれを承知の上で猫を飼おうとする意志の強さがこのエッセイを引き締めて読み応えのある物にしています。 また、昔の村上春樹とどことなく似ている詩人らしい?表現も特徴的です。 挿絵は長新太。こちらは柔らかさが絶妙。肩の力がフッと抜けて微笑んでしまいます。 話はそれますが「怒れる若者」ことアラン・シリトーが猫の絵本を書いているとは、知りませんでした。 ピカレスクロマンなイメージとのギャップには不意を突かれて笑ってしまいました。 でも考えてみるとワンちゃんよりはネコちゃんっぽい作品を書いていますね。「土曜日の夜、日曜日の朝」とか。 中学生の頃アラン・シリトーの作品を読んで、あのパンキッシュな姿勢に痺れたのですが、今も若者に読まれているのでしょうか? 猫に未来がないのなら人間や他の動物にだって未来はやはりないのです。家族、恋人、友人、ペットと必ず別れが訪れます。逆説的ですが別れの日がおもいっきり悲しくなるように今を楽しく過ごすしかないのでしょうね。ねこに未来はない (角川文庫 緑 409-2) 長田 弘 角川グループパブリッシング 1975-10by G-Tools -
2008.06.10
ブログ真夜中の更新―「まっくろネリノ」
深夜2時。男は、書斎で一人くつろいでいた。 グラスに浮かべた氷を軽く揺らし、ウィスキーを口に流し込む。喉から胃にかけて熱さがしみ渡っていくのに呼応するかのようにBGMのピアノトリオの演奏も熱を帯びてゆく。その熱にほだされるように男は、腰掛けていたチェアから立ち上がり本棚の前へと移動した。一冊、一冊、ゆっくりと本の背表紙に這わせていた指が止まり、一冊の本を抜き出した。 「やっぱり、真夜中の酒の相棒は、コイツが一番だよ。」と満足そうに呟く男の手には、絵本「まっくろネリノ」が。 あらすじ まっくろネリノは、その名のとおり真っ黒な鳥です。カラフルな毛色をしているネリノのにいさん達は、黒くて地味なネリノをいつも仲間外れにしています。でもある日、にいさん達は、素敵な色をしているので捕まってしまいました。にいさんたちを気の毒に思ったネリノは、救出へと向かいます・・・・ 「男前に絵本を紹介」にチャレンジしてみましたが失敗でした。(第一、書斎やらウィスキーやらは、フィクションですし。) 失敗はとりあえず置いといて、「まっくろネリノ」は素敵な絵本です。 全てを塗りつぶす黒では無く、全てを優しく包み込む黒を基調としてパステルで描かれた色づかいは、深夜のひっそりとした静かな空気にピッタリと合います。 真夜中、いつも点けているテレビを消して「まっくろネリノ」をゆっくりと眺めて過ごすのもたまには悪くないものですよ。まっくろネリノ (世界の絵本) ヘルガ=ガルラー やがわ すみこ 偕成社 1973-07by G-Tools -
2008.06.03
ブログ大人と子供―「うんちしたのはだれよ!」
いきなりですが、大人と子供に違いってあるのでしょうか?大人、子供と呼ぶよりは、若い子供と年を取った子供と分けるのが妥当な気がします。 何故、こんな事を言い出すかといえば「うんちしたのはだれよ!」を読んでいる時の私の反応があまりに小学生じみていたからです。 男子小学生、汚い言葉が好きですよね。うんちとか。でも大人になればうんちごときで喜ぶはずが有りませんよね。そう。喜ぶはずがありませんとも。・・・・・喜んでしまうんですよね。20ページ中17ページにうんちが描かれているうんち満載の「うんちしたのはだれよ!」を読むと。 〔あらすじ〕 ある日 地面から顔を出したもぐらくんの頭の上にうんちが落ちてきました。失礼な行為に怒ったもぐらくんは様々な動物の元を訊ねて犯人を捜そうとします。頭にうんちをのせたまま・・・ 大人と子供の狭間で揺れている青少年の皆さんは、この絵本を読んでみるといいかもしれません。この絵本を楽しめるか楽しめないが大人と子供の踏み絵になるに違いありません。 ウソですが。うんち したのは だれよ!
ヴェルナー ホルツヴァルト ヴォルフ エールブルッフ
偕成社 1993-11
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2008.05.26
ブログみえないともだち2 その2―「風が吹くとき」
前回から間隔が空いてしまいましたが、「風が吹くとき」に関するとりとめのない思い出話をお伝えします。 話は、私が小学生の頃までさかのぼります。その頃どういう訳だか私の母親は、原爆を扱った写真集や絵本を集めていて、その中に「風が吹くとき」も含まれていました。小学生であった私も何となく写真集や絵本を読ました。写真も絵本も怖かったですね。でも何度も見ました。悲惨を学ぶといった殊勝な態度では無く怖いもの見たさで。その内、本当に怖くなって本棚に近づくのも嫌になってしまいました。 そんな状態ですから、本来楽しいはずの「サンタのなつやすみ」(レイモンドブリッグス著)のサンタのハゲた頭を見ても放射能の影響を連想していました。全く関係ないのに。 でも家にあった原爆本の中ので一番怖かったのは、「ひろしまのピカ」(丸木俊著)でした。この絵本は、今でもほんの少し怖いです。 とまあ、本当にとりとめのないお話なんですが、今でもあの頃のザワザワとした恐怖を覚えているんですよね。不思議と。 で記事の締めですがとりとめのなさに終始して 「LOVE&PEACE!」でとりとめもなく終わりたいと思います。風が吹くとき レイモンド ブリッグズ Raymond Briggs あすなろ書房 1998-09 by G-Tools -
2008.05.14
ブログみえないともだち2―「くまさん」
前回に続いてみえない友達のいる女の子の絵本「くまさん」をとりあげます。「アルド・わたしだけのひみつのともだち」では、女の子が孤独を感じた際の支えにアルドをしていたのに対して、「くまさん」では、単純に女の子の想像力の豊かさを描いているようです。 〔あらすじ〕 ある晩、女の子がぐっすりと眠っていると窓から大きな大きなくまさんが入っていきました。あっという間にくまさんと仲良くなった女の子は、一緒に寝たり、食事をあげたりと楽しく過ごしますが、次の日の晩にくさまさんは、帰っていきます。 ハイライトは、冒頭のくまさんの登場シーンです。作者レイモンド・ブリッグスの特徴であるコマ割りによって、小さくコマを割って徐々に女の子の部屋の窓に近づいていく様子を描ているので、最初はくまさんの大きさが分かりませんが部屋に入る瞬間は、ドーンと見開き1ページを使ってくまさんの大きさを表現しています。この時の迫力は、まるで映画のようです。この絵本、とにかくデカイ(37cm×27cm)んですが、その理由は、登場シーンを見れば納得です。 実は、この絵本にはもう一頭くまが出てきます。それは女の子が持っているくまのぬいぐるみです。何回も読んでいると妙に気になってきます。くまさんよりぬいぐるみを目で追ってしまう程に。ぬいぐるみなので表情は変わりませんし自分から動かないのに、まるで意志があるかのような錯覚を覚えてしまいます。女の子のお気に入りでいつ持ち歩いているぬいぐるみは女の子の想像の産物であるくまさんと現実をつなぐ役割をしているのかもしれません。 レイモンド・ブリッグスは、「ゆきだるま」(アニメ「スノーマン」の原作です)や「さむがりやのサンタ」で有名ですが、核戦争をテーマとした「風が吹くとき」の作者としても知られています。この作品には、個人的にちょっとした思い出があるのですが、次回に引っ張ります。正直、引っ張るような話じゃないですけどね。 ちなみに訳者角野栄子は、映画「魔女の宅急便」の原作者です。くまさん
レイモンド ブリッグズ Raymond Briggs
小学館 1994-12
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