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2008.08.21
ブログ押井犬はバセットハウンド好き―「イノセンス」
少し前の話になりますが、朝の情報番組スッキリ!!にて放映されていた*「スッキリ・クロラ」に出てくる押井監督の顔を模した、ワンちゃんを押井犬と呼んで勝手に喜んでいました。かわいくないとか。本人に似ているけど髪は多いとか。悪口では有りませんよ。私は押井犬のことをとても気に入っています。 そんな訳で今まで押井作品に触れたことがなかったので、いい機会だと映画「イノセンス」を見ました。 *映画「スカイ・クロラ」の登場人物とスッキリ!!の出演者が登場する1分間のアニメーション 現在(8月21日)も第二日本テレビで閲覧可能(http://www.dai2ntv.jp/p/z/131z/) あくまで私の主観ですが、力の入った映像でしたが圧倒まではされず、脳を機械化して人々が膨大な情報を共有し、体の一部を機械化することによって自分と他人の区別がつかなくなる 「この体、この脳は誰のもの?自分と他人との違いってなに?」という問題定義は興味深いし、自分と他人との区別がつきにいく状況下において自我を保つ為にイノセンスなものを求める行為(主人公バトーにとってはバセットハウンドと手が届かない遠くにいってしまった、もしくは気づかない程近くにいる少佐)こそが自分らしさだという帰結もうなずけるのですが、どこか物語にひきつけられない。 退屈とまでは行かないにしても引き込まれない。後で見たパトレーバー2の方が物語としてのパワーを感じました。 コアなファンからすると読み込みが足りないのかもしれませんが、個人的な感想ですのご容赦を。 ハードボイルドで謎めいたセリフやアクションシーンはハリウッド映画を思わせるので、これらにオリエンタル風味を加えているのが海外受けする秘訣でしょうか。 でも素早い展開のアクションシーンや壮大な都市を描くシーンよりも私の目を引いた映像はバトーの飼うバセットハウンドの食事シーンです。 食事を与えると、早速食器に顔を突っ込むのですが長い耳まで食器の中にするとバトーが優しく耳を取り出してあげます。クールでタフなバトーが心優しい人間であることが一瞬で分かるシーンです。 一瞬にして多くの情報を伝えるのが作り手の技であり、それを見抜くのが受け手の醍醐味ではないでしょうか? このシーンには、食いつきのいいワンちゃんを飼ったことのある方ならお馴染みの勢い余って食器を押しながら食べ続けるというオマケまでついてきます。監督はバセットハウンドを飼っているそうですがバトーの優しさ共に監督のワンちゃんに対する愛情と観察の深さが分かるシーンですね。 イノセンスを見て、監督本人に興味が湧いてきたので他の作品も機会があれば見てみようかなと思っています。
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2008.08.04
ブログもう人には見えない―「グーグーだって猫である1~4」
手塚治虫文化賞(短編賞)をとり映画も公開予定の何かと話題の大島弓子著「グーグーだって猫である1~4」を周回遅れながらやっと読みました。といっても実際に買ったのは、2ヶ月位前で3、4軒書店をまわっても2巻と3巻しか置いてなくて、全巻を手に入れるのがタイヘンでタイヘンで。 売れているをわが身を持って知りしました。 私にとって 「大島弓子」「ネコちゃん」でパッと浮かぶのが「綿の国星」「サバ~」シリーズでしたので「ネコちゃんを擬人化しないのかぁ」が第一印象。読み進めていく内にそれも納得でした。 サバが著者にとって友人であり、家族であり、恋人?であり(サバは女の子なのですが男の子のように描かれている)そして著者自身を写す鏡であったのに対してグーグー達は何処までも行ってもネコちゃん。ネコちゃんとして付き合いネコちゃんとして可愛がり責任を持って飼っています。 何故、付き合い方が違うのか?反省しているからでしょう。自分の事にかまかけてサバの面倒をちゃんと見てやれなかった。あの時ああしていればサバはもっと長生きできたのでは?もっと幸せにしてあげられたのでは?と。 だからグーグー達にはしっかりと飼おうと全力を注いでいます。自身の内面を安易に投影せず一匹の「ネコちゃん」としてネコちゃん自身の気持ちと向き合い続けた結果が擬人化無しの表現に行き着いたのでしょう。 著者が必死になってグーグー達と向き合っている姿はサバに対する贖罪のようで切なくなってきます。もちろん贖罪だけではそれぞれのネコちゃん達をあれだけカワイく特徴豊かに書き分けることは出来ないでしょうし、マンガ全体から感じられるネコちゃん達への眼差しはとても愛情に満ちています。 それでも過度に繊細な著者(反面とても頑固でもありますね)のサバに対する深い深い後悔と反省を思うと胸が痛みます。 私はペットシッターとして様々なお宅にお伺いしますが、飼い主さんとペットの絆は一様にみんな固いものです。 私にもなついてくれますが、やはり飼い主さんとは特別だなと感じます。 著者には肩の力を抜いて自分を赦してやって欲しいです。サバは著者と暮らせて間違いなく幸せだったのだから。 追記 タイトルは「我輩は猫である」からきているのでしょうか?勝手にサバは大切なネコだったけどグーグーだって大切なネコであると想像しているのですが・・・考え過ぎでしょうか?
グーグーだって猫である
大島 弓子
角川書店 2000-07
by G-Tools -
2008.07.28
DM紹介 -
2008.07.22
ブログたとえ現実逃避だとしても―「子猫をお願い」
作品に触れる年齢や環境によって感想を変わってくるものですが、いつ見ても青春時代を描く作品には、感情を揺さぶられます。韓国映画「子猫をお願い」もそんな作品でした。 [あらすじ]高校時代からの仲良し5人組。高校を卒業してからは別々の進路を歩む中で友情関係にひびが。それぞれの思いを胸に社会へ出て行こうとする女の子達の青春群像劇。 画面はモヤがかかっているようで、たんたんとぼんやりとした印象を受けます。BGMもそんな印象。 この映画全体から流れる地に足がついてないような空気感が5人組の未来に対する漠然とした不安な心境をよく表していました。 女の子達の平凡な日常を追っていくだけの話ですが、あきさせないのは女の子達のキャスティングの良さ。 特に主演のペ・ドゥナは「不満は有るけどその不満が何かわからないし、具体的にしたいことはないけど自由ではいたい。」 そんな、ある意味身勝手な気持ちをショートカットに痩せぎすの体全身で表現していました。それぞれのキャラクターの役割分担がはっきりとしていたので演じやすかったのかもしれません。 女の子達の内面をあっさりと描写していながら書き漏らしはしない監督の上手さも飽きがこない要因。若い女性監督なので心情的に登場人物と似た部分もあるのかも。実際、監督は周りの友人達をみてこの映画を撮ろうと思いたったそうです。 当時は斬新だったかもしれない携帯電話を多用した表現が今となっては古臭いのはご愛嬌でしょう。ケイタイは子猫よりも大活躍でした。 ラストで主人公は友達一人を連れて海外へと旅立ちます。目的もどこへ行くのかもはっきりとしないまま。はっきりしないのが如何にもこの映画らしいですね。ただの海外旅行に終わって時間とお金を浪費して韓国に帰ってきてしまいそうな気もします。 仮に海外に行くことが現実逃避に終わったとしても彼女達が悩み、苦しんで状況を変える為に一歩を踏み出したのは事実です。 真っ暗な何処かへ踏み下ろした一歩が前に進んだのか、ただの足踏みに終わったのか、それとも後ろへ下がったのかは誰にもわからないのだから。
子猫をお願い [DVD] チョン・ジェウン ポニーキャニオン 2005-01-19by G-Tools -
2008.07.18
ブログ昨年度を振り返って
先週は練馬西税務署に今週は練馬都税事務所に書類を提出してやっと確定申告が終了しました。 弊社はカワイイ位に小さいな会社ですので、決算書は税理士さんを頼まずに私が自力でなんとか作成しています。 ただ自力といっても、大半のことは会計ソフトがやってくれますからMVPは私ではなく会計ソフトです。 決算書を作成していて、改めて沢山のお客様からご依頼を頂き支えて頂いていると実感致しました。 昨年度、ご利用頂いたお客様、誠にありがとうございました。昨年度はご縁の無かったお客様、本年度はお会い出来る事を楽しみにしております。 今後ともペットシッターのストローラーカンパニーを宜しくお願い致します。
